風土が文化を育てるとはよく言われることであるが実際それは歴史が形づくることが多い。
たとえば、飛騨地方は、近代交通の発達以前は盲腸のような所だった。
山また山の奥深い国で、冬場は大変な雪に閉ざされる。
人の行き来はあまりなかったうえに、自分から出て行くこともしなっかた。
かつ、江戸時代の大半は天領(幕府直轄地)
次第に人ずれせずに、飛騨人はまず人疑うことを知らなかった。
が、反面、まとまる力も大きかった。
対して美濃はどうか。西に京都への入口・関ヶ原を待ち、
暴れ川として天下に響いた木曽三川を抱く。
天下取りの拠点として戦国時代には日本史の表舞台に立ったこの地方が、
江戸時代に入っても幕府の目が光っていたことは言うまでもない。
「こま切れ支配」「豆粒支配」と称されるミニ藩が置かれたところとして有名である。
加えて街道・中山道は人の行き来が激しく、それゆえ、妙にこすっからいところがある。
このような場所にすむ人々には、総じてまとまりはみられなかった。
さて、こうも違う二つの地域(細かく言うとそれ以上もの差はある)が、
同じ県にまとまることすらめずらしい。
しかしその差が異なった文化、異なった料理を育ててきた。
それぞれの地域の特色はそれぞれの項をご覧いただくとして、味わう側は憶えておきたい。
岐阜県民は一筋縄ではないことを。
「何にもないけど、おひとつどうぞ」と、かけられる声は同じだが、手渡してくれるものに違いが出る。そんな土地柄である。
(文/日比野光敏)